堀川運河の写真 (追加分)

( 「堀川の歴史と現在」 の続編 )

「懐かしき折尾駅-2」・「昭和40年代の堀川・折尾駅前」にも、堀川運河の写真を掲載中です


堀川運河のオリジナル写真(?) 

堀川運河の写真は、「明治・大正期の絵葉書写真」-(名称不明・枚数不明)-が、オリジナルのようです

多くの写真集・資料等で、上部がカットされて使用されているようです

「明治44年陸軍特別大演習記念写真帳」にも、数枚あります

  

            木屋瀬宿近くの遠賀川で、寿命唐戸より1キロ程上流です

    寿命唐戸では、堰板戸を上げて水位の調整中です 

 

         堰板戸--長さ1丈(3m)の5寸板

 

                中間唐戸です、不自然に彩色された写真もあるようです

               車返の切貫き、折尾高校の下になります 

 

     (現)中須2丁目にあった壱番橋です、左の石柱が現存しています

         洞海湾まで数百メートルの、堀川下流地点です 

 

 

    吉田〜岩瀬・伏越から見た中間方向、中鶴一坑の大煙突が見えています

 改修以前の中間唐戸、鳥居巻と堰板戸・中戸が見えています 

   

 (中川音五郎氏画)              明治37年頃の直方市付近の遠賀川、石炭を満載の下り船と、帰路に帆走中のひらた船 ( 川艜 )です

****************************

堀川運河の下流風景

  

     現在の折尾村壱番橋です、左の石柱は100歳を超しています            折尾駅より下流は、コンクリート護岸の排水溝です

 

  

壱番橋上流の側溝では、鷺が魚を狙っていました  ボラ等の群れがいるようですが、現在の水質では洞海湾の浄化も・・・・

 

 

****************************

遠賀川 (堀川) 疎水碑

 

  

明治30年建立の遠賀川 (堀川)疎水碑です  折尾駅・鷹見口の東側 (北鷹見町) にあります 

****************************

筑豊鉄道の橋台跡

  

折尾高校下の踏切に残っている、堀川運河上の橋台跡です  複々線の廃止で、線路も撤去されています

筑豊鉄道の遺構は、遠賀川鉄橋や中間市内にも残っています  新道・折尾中間線の延長計画で、数年内には姿を消すのでは・・・・

 

  

吉田の貴船神社横の橋台跡です  以前には、複々線が交差していた区間ですが、ここも新道・折尾中間線の延長線上です

****************************

堀川歴史公園の現状報告


平成18年1月の堀川歴史公園---福岡県と水巻町による無駄な遊歩道の延長工事で、貴重な鑿跡を破壊  

 

堀川の西岸から確認できた、約250年前の貴重な鑿跡を、塗り潰してしまいました---北九州土木事務所と水巻町の愚策です---( こちらを参照 ) 



折尾町のトップ

懐かしき折尾町-  -

堀川の歴史

日炭高松炭鉱の記憶 

折尾駅−今昔物語


更新日- '06/02/01





inserted by FC2 system