懐かしき折尾町 -2 


明治43年頃の二階建ての建物が判明しました--(H.18-11/7追記)

昔の折尾駅と、遠賀公会堂⇒後に経理学校⇒現在の妙應寺を確認しました + トンネル通路

( 写真と情報の提供を、お願い致します )


折尾駅・三好炭鉱本社・遠賀公会堂の変遷 

明治43年頃の折尾駅と不明な建物  (やや鮮明な写真に交換)

中央上は鷹見神社、右上は東筑中学の校舎です  鷹見神社の手前が不明な建物です、下の写真からE形の正面構造と確認できます  

最初は昔の遠賀公会堂と思っていましたが---3枚目の写真で、戦前からの遠賀公会堂が確認できました 

洋風の二階建で、屋根には2本の煙突(?)が見えています  3枚目の写真の右奥二階建とは、別の建物と確認できました 

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中央の二階建は、移築された(芦屋・遠賀税務署⇒折尾・遠賀税務署⇒) 三好炭鉱本社と判明しました-- (H.18-11/7追記)

遠賀郡折尾村左近田で、現在の東筑1丁目の白土医院の位置です 

〔 二階建の変遷---(M.?〜)芦屋・遠賀税務署⇒(M.35〜)折尾・遠賀税務署⇒(M.43頃〜)三好炭鉱本社⇒(S.6〜)三好中央病院⇒(S.9〜)日炭中央病院 〕 

三好炭坑本社の前には、遠賀銀行・折尾支店(M.43〜T.9)、後の遠賀銀行本店(T.9〜S.2)の屋根が見えています

現在の(株)ハタブの位置で、昭和30年頃には遠賀証券本社がありました

左端の現在では折尾保育所のある位置には、旧・折尾警察署が確認できます、その右は折尾村役場だろうか??? 

折尾駅の鹿児島本線ホームには、まだ屋根がありません  大正2年には、複線が開通します   

 

 

(東筑百年史より)                                大正時代の折尾駅

上の写真と同じ高台から撮影され、左上に皿倉山が確認できます  鹿児島本線のホームには、屋根が設置されています

左に堀川運河上のガード (現在の東口こ道) と、筑豊本線との立体交差のガードも見えています 

( この写真の鮮明版を探しています) 

 

(東筑百年史より)                          昭和29年の折尾駅と九州経理専門学校・鷹見神社

この写真では、鷹見神社の西側の3棟の建物を確認しました    

この建物は、昭和26年から九州経理高等学校の折尾分校となり、29年には九州経理専門学校と改称しました 

左手前の二階建は、現在も妙應寺の集会所として使用されています  内部には、以前の学校の黒板が残っているとの事です 

( 妙應寺の集会所は、平成19年8月に解体されました ) 

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右奥の(青い)高い煙突の建物が、戦前から遠賀公会堂と呼ばれていたようです  上2枚の写真の二階建とは、別の建物と判明しました

この遠賀公会堂は、大正時代の中頃??に建設されたようです 

下の写真を見ると、中央の建物が無くなっています  遠賀公会堂の跡地には、昭和53年に妙應寺の本堂が建設されます 

( 折尾町-4に、公会堂の新情報と集会所を追加しました )

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未確認ですが--( 大正7年設立の折尾高等女学校は --仮校舎として予備校??を1年間半借りる )--この建物かもしれません???

未確認ですが--( 大正7年--三好鉱業の本社建物で入学式を行う )--三好鉱業が、折尾・遠賀 税務署跡 を使用したのか???--(上で確認済み)

〔三好炭鉱関係-- T.8--三好鉱業の本社を折尾に設立、T.13--水巻町に本社を移転、S.2--大君鉱業の本社を折尾に移転 〕 

〔遠賀郡の税務署関係--(八幡免) M.35--芦屋・遠賀税務署が折尾に移転、M.42--折尾・遠賀税務署が若松に移転

( 遠賀公会堂の新情報--昭和22年開設の折尾簡易裁判所と折尾区検察庁が、昭和32年3月まで使用する---『八幡市史-S.34-』より )

( 公会堂の名称は、折尾町・遠賀公会堂と判明しました・・・『八幡市史-S.34-』には、折尾元公会堂にて開庁式--との記述あり ) 

『遠賀中間医師会六十年史-S.44-』によると
大正14年11月の秋季総会から、遠賀公会堂が医師会の総会会場として使用されています
会場名の表記は、T.14・「郡公会堂」→T.15・「遠賀公会堂」→S.5・「遠賀郡公会堂」→S.6・「折尾町遠賀公会堂」と変化をしています
昭和12年からの総会会場は、折尾町・肥前屋→芦屋町・新玉旅館→折尾町・喜楽等の旅館や料亭に変わっています
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遠賀郡折尾町は昭和19年12月8日に、八幡市に合併編入しました
遠賀農学校の卒業生より--『遠賀公会堂が戦時中には、繭の乾燥場として使用され、青色の高い煙突はその当時の名残り』--
--左手前の二階建は、『当初は遠賀郡の繭倉庫(乾繭倉庫)として建てられた』--との情報がありました  

 

 

(北九州市土木史より)                          昭和36年頃?の折尾駅と折尾町

 上の写真で3棟に見える建物が、こちらでは2棟しか確認できません???

現在も使用されている北側の坂道は、折尾分校当時の昭和26年頃に整備され、以前の遠賀公会堂には西側に階段があったようです 

昭和35年に閉園した折尾公園は、この写真では、入口ゲートらしき物しか確認できません

左端に元・三好炭鉱の送炭エンドレスの架橋跡と、右上には三好邸跡地と2本の坂道が見えています 

 

 

(八幡市折尾町・字図より)                         昭和34年の折尾駅周辺

折尾駅は八反田と楠木にあり、駅前の東側は四反田・松ヶ崎・末里・左近田等になります

 

 

 

 

昭和49年の折尾駅と折尾町 

元・遠賀公会堂の建物は既に撤去され、後の集会所だけになっています  右下は遠賀郡役所(M.31〜T.11)跡で、下写真では空地のようです

折尾駅・西口側と若松方面の短絡線に、トンネル通路が見えています 

 

 

 昭和30年頃の遠賀地方事務所

この建物は、遠賀郡役所(M.31〜T.11)⇒(??)⇒遠賀地方事務所(S.17〜?)⇒八幡土木事務所⇒八幡農林事務所等に使用されたようです 

現在では、八幡西勤労青少年ホームが建設されています 

 

 

(東筑百年史より)                             昭和57年の折尾町と西鉄電停

不鮮明ですが、遠賀公会堂と経理学校の跡地に、妙應寺の本堂と集会所が確認できます

西鉄折尾電停は、昭和59年からの折尾駅前再開発・第2ビル (通称-電車ビル) の建設で、東側(上)に建物1棟分が移動します 

 

 

(東筑百年史より)                          昭和57年の折尾駅と再開発ビルの建設

昭和57年6月の、折尾駅前再開発・第1ビル (オリオンプラザ) の、建設着工時の写真と思われます

若松方面の短絡線に、煉瓦積みのトンネル通路が見えています、駅側に質屋があり記憶に残っています  西口前の道路は、まだ建設前です 

 

 
(撮影・香山義憲)  左は昭和59年3月に撮影された、上の北側短絡線のトンネル通路の駅側 (質屋横) と思われます--(折尾トンネルの西側かも??)

西改札口の横にも、同規模のトンネル通路があったようですが、写真が見つかりません

右は、堀川町から折尾スターレーンの前に出る、鹿児島本線のトンネル通路です、南側は煉瓦の一部が削られています

 

 

右は、199号線・折尾トンネル西側の鹿児島本線のトンネル通路です、上右と同じく明治24年頃の建設で、アーチ部分は4段積みです

左は、大正14年建設の三好鉱業・専用線 (昭和9年より日炭高松炭鉱) のガード跡です、現在唯一の専用線の遺構です

 

現在の折尾駅と妙應寺・東筑高校 

上部2枚の写真と、ほぼ同じ角度から撮影してみました  中央の2棟のマンションの間に、妙應寺の本堂と集会所が見えています

現在、折尾地区総合整備事業が計画されていますが、地元の反対運動で凍結中(??)です

( 折尾町-3に、計画案を掲載しています )

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(東筑百年史より写真を引用しました)


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更新日- 2013/04/07





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