大辻炭鉱・岩崎炭鉱の遺構 

昭和41年〜44年に、香月の吉祥寺の近くに住んでいました

吉祥寺と白岩観音の間には田畑が広がり、春にはレンゲ草の花が満開でした

現在は、吉祥寺町と白岩町に変わっています

大辻炭鉱の炭住街は、全てが市営団地や住宅街に生まれ変っています

( 香月小学校・郷土資料室の写真を追加 )


大辻炭鉱・選炭場跡の現在

北九州市に唯一残っていた貴重な炭鉱遺跡が、残念ながら解体・撤去されてしまいました

(2008年1月-撮影)

平成20年1月16日---西鉄バス香月営業所の北側に、選炭場ホッパー跡・原炭ポケット跡・変電所跡が残っていましたが、19年12月に解体され住宅地へと整地されています 

大辻炭鉱の遺構は、今も藪の中に残っている==選炭場・原炭ポケットへの高架桟橋跡==だけになりました

平成20年1月16日---西側から見た選炭場跡には、原炭ポケット跡のコンクリート片が・・・・左奥の市営団地の手前に、変電所跡が建っていました 

『 無残かな 瓦礫となれし 炭鉱(ヤマ)の跡 我が故郷は ボタ山の町 』  

( 以下は、平成19年12月以前の情報として御覧下さい )

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大 辻 炭 鉱 の 遺 構

 

 

香月駅跡の北西側に、大辻炭鉱のホッパー跡や変電所跡が残っていました

 

 

( 「ホッパー」とは---選別した石炭を出荷・積込まで貯めておく貯炭槽と機械設備です )  

( 「石炭ポケット」とは---採炭した石炭を集積する場所・貯炭槽です---坑内ポケット・原炭ポケット等 )  

   

 

 (香月小学校・郷土資料室)                          昭和43年頃---選炭場跡と積込場のポッパー跡             左端は、選炭場の原炭ポケット跡のようです

昭和43年頃---上部にチップラー(炭車の回転機)がある---炭車で斜坑から揚げた石炭を蓄える、原炭ポケットのようです

 (香月小学校・郷土資料室)             昭和43年頃---左は選炭場の基礎部分とホッパー跡、右はチップラー撤去後の原炭ポケット跡

 (香月小学校・郷土資料室)              昭和43年頃---選炭場の基礎部分とホッパー跡  左上に、香月駅とホームが見えています

   
   

大辻炭鉱の選炭場跡


(2005年-撮影)  

   

    

 

              西鉄バス香月営業所の北側に、選炭場のホッパー跡が見えています                   香月郵便局前から見た、変電所跡です

(下図の-B-C) 

 

選炭場ホッパー跡は、上の(B〜D)の3基が現在も残っています  (A)の原炭ポケット跡も残っています  

 

 

 

裏から見た---左の選炭場ホッパー跡(B)と、選炭場の基礎部分と思われます  

 

 

  

左の選炭場ホッパー跡(B)と基礎部分が、右のホッパー跡(C)よりも原形を留めているようです  

 

 

  

左の選炭場ホッパー跡(B)の下段部分です、扉部分を除き原形を留めています  

 

 

  

裏から見た---右の選炭場ホッパー跡(C)です、下段部分が埋まり一部崩れかけています  

 

 

 

左の選炭場ホッパー跡(B)の西側に---大きな原炭ポケット跡(A)が残っています

 

 

  

西側の大きな原炭ポケット跡(A)の下段部分です、こちらも構造部分は原形を留めています

 

 

  

大きな原炭ポケット跡(A)の下部には、1号〜7号の番号が残っています

 

 

  

大きな原炭ポケット跡(A)の穴から上を覗くと、仕切壁の木材も一部が残っているようです

 

 

 

大きな原炭ポケット跡(A)とホッパー跡(B)が、ほぼ原形を留めて残っているのを今回再確認しました 

 

 

 

選炭場ホッパー跡(C)と変電所跡の間にも、崩れかけたホッパー跡(D)が残っています  

 

 

 

 

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大辻炭鉱の変電所跡

  

   

 

 (香月小学校・郷土資料室)                         昭和43年頃---大辻炭鉱の変電所 (開閉所)です
  

(2005年-撮影)  

   

  

選炭場ホッパー跡の北東側に、大辻炭鉱の変電所跡が残っています

 

 

 

 

変電所跡の北側壁面の前は、隣の工場の駐車場になっています  

 

 

  

選炭場ホッパー跡から見た変電所跡と、南側の壁面です

 

 

 

 

屋根の無い方が、内部の撮影には適していますが・・・・

 

 

  

 これらの大辻炭鉱の遺構群を、歴史公園として整備・保存が出来ないのか???  今までのように、放置を続けるつもりなのか???   

 

 

 

約三週間で、変電所跡の雰囲気は一変しました  選炭場ホッパー跡には、暫らくは近づけないようです---(05/07)  

 

   

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岩 崎 炭 鉱 の 遺 構


(2005年-撮影)  

 

 

岩崎炭鉱の遺構が、以前の引込線・積込場の南西側に残っています

 

 

( 岩崎炭鉱は--昭和16年から、新手炭坑・第三坑と改称 )  

   

( 「石炭ポケット」とは---採炭した石炭を集積する場所・貯炭槽です---坑内ポケット・原炭ポケット等 )

 

 

 

岩崎2丁目の住宅街の一隅に、岩崎炭鉱の石炭ポケット跡が残っています

 

 

 

 

地元の高齢者の話では、石炭を選炭場へ送る前の原炭ポケット跡のようです  

 

 

 

石炭ポケット跡の下段には、選炭水の沈殿池の一部が残っています  右奥には、排気坑があったようです  

   

  

             昭和49年の石炭ポケット跡--選炭場跡のように見えるが??? 

左写真の北側--上が選炭場跡か???、56年では住宅が建ち消滅しています 

   

  

              (香月小学校・郷土資料室)                 昭和30年代---新手炭坑・第三坑、元・岩崎炭坑の引込線、大隈炭坑の運搬路線  

  左上は、新手二坑の積込場のようです

   

  

明治40年頃---岩崎炭坑の桟橋と、黒川の船積場--(現在の岩崎橋の西側)

『撰礦は、桟橋(貯炭場)各所に打流し萬石を附し、塊・粉を別て・・・』、41年には石炭運搬専用の香月線が開通する  

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昭和30年代の日炭高松炭鉱

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日炭高松炭鉱の記憶


更新日-'08/01/17





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