昭和14年の高松炭鉱 |
( 写真-九州大学・記録資料館所蔵 )
日産化学工業株式会社・遠賀鉱業所・高松炭鉱 時代の炭鉱絵葉書
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九州大学・附属図書館・付設記録資料館所蔵の炭鉱関係絵葉書より ) 会社名の変遷---(S.9-7)日本炭礦(株)⇒(S.12-2)日本化学工業(株)⇒(S.12-12)日産化学工業(株)⇒(S.18-4)日本鉱業(株)⇒(S.20-7)日本炭礦(株)
戦前の写真は、軍司令部等の検閲により、背景の山々が削除・修整されているので注意が必要です
( 明治32年---軍機保護法、要塞地帯法の公布---北九州一帯は下関要塞地帯に指定される
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昭和14年の第二高松炭鉱 |
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昭和14年---日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱の第一斜坑 (揚炭ベルトコンベア) |
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昭和10年11月に斜坑4本の開鑿を開始して、11年7月から出炭を開始、12年4月には延長500mの揚炭ベルトコンベアが完成する |
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昭和30年頃---日炭高松・第二鉱の繰込場と4本の坑口 昭和30年頃---日炭高松・第二鉱の選炭場と日炭専用線・二鉱ボタ山 第一斜坑--揚炭用、第二斜坑--入気用、第三斜坑--排気・排水用、第四斜坑--人車・人道用 (日炭高松事務所から撮影) |
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昭和14年---日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱の選炭場 |
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現在の北九州市営バス-「頃末宮ノ下」-バス停附近から見た、昭和12年に完成した第一第二選炭機と専用線 |
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左背後に日産高松事務所、坂道の左上には宮ノ下社宅がある |
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昭和32年---南から見た、日炭高松・第二鉱の全景 左の宮ノ下社宅の跡地は総合運動公園に、第二鉱の跡地は住宅地に変わりました 左下の日炭事務所跡は、平成17年8月に解体・撤去された |
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昭和14年---日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱の繰込場前の広場 (二鉱山ノ神の拝殿と殉職者招魂碑) |
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昭和14年---日産化学工業・遠賀鉱業所・第二高松炭鉱の二階建八軒長屋 (共同大浴場) |
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背景の多賀山が削除されているが、古賀区社宅街の西側と推定します 共同大浴場は高松区の浴場のようです |
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昭和31年---北から見た、日炭高松・第二鉱の古賀区社宅街 中に第二高松会館(映画館)と古賀クラブ、上に共同浴場と配給所・商店、右下は建設前の日炭高松球場です 昭和31年---北から見た、日炭高松・第二鉱の高松区社宅街
(右は梅ノ木区社宅街) 左に配給所と商店、中に高松幼児園、右上に日炭専用線の梅ノ木駅です この浴場も38年の水巻町図では、左側の空地に新築・移動しています |
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昭和14年---頃末尋常高等小学校---(昭和15年11月、火災により全校舎が焼失する) |
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昭和9年に杁尋常高等小学校の頃末分教場として、三好セキ女史が寄贈 |
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昭和14年---日産化学工業・遠賀鉱業所・第一高松炭鉱の第一興道会館 |
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( 写真説明では興遊会館となっているが、第一高松炭鉱の興道会館です
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昭和14年---炭鉱風景絵葉書の外袋 |
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外袋の上部破損と、高松炭鉱が高柗炭鉱となっているのが残念です |
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新聞記事に見る---昭和16年の日産化学工業(株)・遠賀鉱業所・高松炭鉱 |
其の沿革を見ると、この炭鉱は大正末期に三好徳松氏が下層採掘の目的で開坑したもので、 現在採掘しているものは層厚三尺二寸の三ヘダ三尺層、同じく六尺三寸の四ヘダ五尺層、 此の炭鉱を日本産業株式会社が買収し、それに高尾、梅ノ木、糟屋炭鉱を加えて 昭和十二年四月、第一期工事の完成に依って、毎時百七十瓲処理の能力を持つ選炭機械設備と 第二日目いよいよ目的地筑豊炭田に第一歩を印する、今回中央表彰十二炭鉱中の一つ 筆者は第二高松炭砿で斜坑四千尺を下り、一切羽に於ける労働状態を観た、 この炭砿の就業時間は作業の種類に依って違うが、採炭と掘進は一日三交替の現場交替が原則 労務者に対する炭鉱の福利施設も、一般的に漸次充実されつつあることは事実だ、高松炭鉱の状況を観ると、 教育方面も男女青年学校、坑内技能者養成所、修業年限三ケ年の高松鉱業学校等があり 日産高松炭鉱は、其の整備した設備と沿革に就て既に一部分述べて置いたが尚お少し補足して置き度い、 第二高松は、四本の逆磐斜坑を開鑿し、大部分後退式一部前進式長壁法に依る、 今後の計画は、第二水平層以下は捲上げ、それ以上はこのベルトコンベアで搬出することになっている、 ****************************** |
『 神戸大学・新聞記事文庫-石炭(11-049) 』 |
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「 昭和15年の高松炭鉱」・「昭和17年の高松炭鉱」
昭和30年代の日炭高松炭鉱 |