昭和17年の高松炭鉱 |
( 写真-法政大学・大原社会問題研究所・所蔵 )
日産化学工業(株)〜日本鉱業(株)・遠賀鉱業所・高松炭鉱時代の訓練所写真
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法政大学・大原社会問題研究所・大原デジタルミュージアム・社会労働関係写真データベースより ) 会社名の変遷---(S.9-7)日本炭礦(株)⇒(S.12-2)日本化学工業(株)⇒(S.12-12)日産化学工業(株)⇒(S.18-4)日本鉱業(株)⇒(S.20-7)日本炭礦(株)
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「朝鮮人労働者の集団移入および徴用について」 |
「募集」(1939年9月〜42年1月)の時期---「朝鮮人労働者募集要項」 |
林えいだい著-『まっくら・・朝鮮人強制労働の実態・・1987』-によると |
『増補・水巻町誌』-(水巻町誌編纂委員会/2001)-によると |
『遠賀中間医師会史-S.44-』より-『日炭中央病院の歩み--院長・土井滋』-によると |
『筑豊石炭鉱業史年表-S.48-』-によると |
参考資料---「跡部義夫遺稿」 |
「韓国併合条約」の歴史的事象や、日韓の諸問題等については、専門外につき一切関知しない |
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昭和17年---朝鮮に於ける労働者募集-1942年-朝鮮京畿道の募集会場、日産化学工業(日炭)募集会場と募集員 |
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看板は--「日産化学工業会社・遠賀鉱業所・募集労務員集合場」と読める |
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昭和17年---朝鮮に於ける労働者募集-1942年-朝鮮京畿道、面(村)役所での募集手続に集まった朝鮮人 昭和17年---面(村)役所前、面長と募集係の説明 |
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高松炭鉱・第一鉱の訓練所 |
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昭和18年---高松炭鉱・第一鉱の片山第一訓練所--「忠南道保寮郷出身者一周年記念-1943.11」 |
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昭和19年---高松炭鉱・第一鉱の片山訓練所-1944年 |
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昭和18年---高松炭鉱・第一鉱の鯉口訓練所??と思われる |
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高松炭鉱・第二鉱の訓練所 |
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昭和17年---高松炭鉱・第二鉱の高尾訓練所(前列-賄婦たち)-1942年 |
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私の生まれた高尾区社宅には、独身者の寮があったとは聞いていたが、訓練所の所在は初めてである | |||
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昭和18年---中央訓練道場の職員が応召されて行く時の記念撮影-1943年 昭和19年---中央訓練道場-1944年--「高等科前段終了記念一期生」 |
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朝鮮人訓練生は、まず中央訓練道場で基礎の訓練をして、その後各鉱の訓練所に入寮したようです |
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中央訓練道場は、球場傍の古賀訓練所と思われるが・・・未確認です |
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昭和20年---高松炭鉱・第三鉱の浅川訓練所-1945年 |
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昭和19年---高松炭鉱・第三鉱の浅川訓練所(17名)-1944年 昭和19年---高松炭鉱・第三鉱の浅川訓練所(22名)-1944年 |
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昭和19年---高松炭鉱・第三鉱の浅川訓練所(13+1名)-1944年 昭和20年---高松炭鉱・第三鉱の浅川訓練所の労務係-1945年 |
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(前列右は、朝鮮人隊長と説明あり) |
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撮影年不明---貝嶋炭鉱の訓練所風景と思われる |
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坑内作業を中心に、炭鉱の仕組みや作業道具、坑内道具、坑内用語等について教育した |
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「昭和14年の高松炭鉱
」・「 昭和15年の高松炭鉱」
昭和30年代の日炭高松炭鉱 |