The Memory of Nittan-Takamatsu Tankou (coal-mine)
=== 昭和9年・1934 〜 昭和46年・1971 ===
福岡県遠賀おんが郡水巻町北九州市若松区にあった、日本炭礦株式会社・日炭高松炭鉱歴史思い出


 日炭高松炭鉱の記憶 ・ 『昭和30年代の日炭高松炭鉱』 ・ 『大辻炭鉱・中鶴炭鉱の記憶』

 
折尾駅-今昔物語 
 折尾町-今昔物語 を、ご案内いたします



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HPアドレスの変更について 

(2010/09/12) 

現在当サイトで使用中のInfoseekの無料ホームページサービスが、2010年10月31日で終了いたします
「nittan3,nittan5,nittan6」の全ページを、10月末までに変更する予定です
変更先は、現在検討中です 

 ↓↓↓

(2010/09/30) 

2010年10月01日より、「nittan3,nittan5,nittan6」を新サイトに変更しました
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http://www5.pf-x.net/~nittan1971/
http://www5.pf-x.net/~nittan1971/info.htm 

 9/30までに、全ページのリンク設定の変更と、HPの小幅な補修を完了しました
容量の増加により、写真等の追加を予定しています

↓↓↓ 

(2014/01/16) 

2014年01月16日より、「nittan3,nittan5,nittan6, nittan7」を新サイトに変更しました
------------
http://nittan1971.web.fc2.com/
http://nittan1971.web.fc2.com/info.htm 

1/16までに、全ページのリンク設定の変更と、HPの小幅な補修を完了しました
HPアドレスは、このページで確認してください 

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新規に、折尾地区の歴史 を追加しました。
折尾の歴史の発掘隊に、情報や写真の提供を待っています。

新規に、『昭和10年代の日炭高松新聞』、『昭和30年頃の日炭高松新聞』、
折尾地区の昔の町名』、『折尾駅前の現状』、『折尾駅周辺の現状』を追加しました
折尾駅周辺の再開発関連の写真等も、近日中に追加する予定です 

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『折尾駅-今昔物語』と『折尾町-今昔物語』が、レッツシティ北九州の総合リンク情報の観光情報にリンクされました

 

平成19年12月、大辻炭鉱の== 選炭場ホッパー跡・原炭ポケット跡と変電所跡 ==が、解体されてしまいました 

( 大辻炭鉱・中鶴炭鉱・新手炭鉱・山田炭鉱の歴史と写真を追加 )   

 

昭和62年から日本炭礦事務所跡の前庭にあった『 躍進の像 』が、水巻町図書館の駐車場横に移動しました 

平成17年8月8日---日本炭礦事務所跡の解体撤去工事が開始されました
( 9月17日--全ての解体撤去工事が終了しました)

 

『堀川の無駄な遊歩道』 + 『水巻の炭鉱とその暮らし--正誤表』 と 『堀川の現状』を追加しました 

都合により一部のHPアドレスを変更しています、このページで確認して下さい 

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開設日と更新 

 2003年06月18日より、随時・追加・更新中です                                                                   ( 2013/03/08--更新済 )

サイトの内容 

     私の故郷である・・・・
 昭和46年に閉山した、日本炭礦株式会社日炭高松炭鉱の歴史と写真を掲載 + 近隣炭鉱等の関連事項

サイトの構成



































サイトの構成

































サイトの構成   

 

日炭高松炭鉱の記憶-(1971) ---------- 日本炭礦株式会社の歴史と写真

   1- 明治〜昭和10年の年表 --------- 頃末炭坑・三好炭坑・三好鉱業・大君鉱業の歴史と写真
   2- 昭和9年〜昭和46年の年表 ------日炭高松炭鉱と日炭若松炭鉱の歴史 *更新*
   3- 明治43年〜昭和5年の年表 ------三好徳松が経営した炭鉱の歴史
   4- 高尾区社宅の写真と配置図 -------私が生まれて17年間住んだ炭住街の記憶
       4-2 高尾区社宅の写真-2----------5より、高尾区社宅-2を分割
   5- 二鉱ボタ山の記憶 ----------------二鉱ボタ山(浅川ボタ山・高尾ボタ山)の懐かしき雄姿の記憶
   6- 日炭高松の社宅街の写真 ---------日炭高松炭鉱の社宅・炭住街の写真
       6-2 「日炭高松の社宅街-2-----------6より、社宅街-2を分割
       6-3 「日炭高松の社宅街-3----------高松区・梅ノ木区・古賀区社宅の写真*更新*
       6-4 「日炭高松の社宅街-4----------宮ノ下社宅・古賀区社宅の写真
       6-5 「日炭高松の社宅街-5----------昭和23年の社宅街の新増築
   7- 昭和25年の地図と日炭高松の写真 ------ 日炭高松炭鉱の建物等の写真 
   8- 堀川運河の歴史と現在 ------------------堀川運河の歴史と写真
                  8-2 堀川運河の歴史と現在-2-------8より、堀川運河を2分割
   
   堀川運河の写真 (追加分) -----------------堀川運河の写真を追加
   日炭高松-閉山後の変遷------------------2より、閉山前後の写真を分割
   明治・大正期の関連資料 ------------------3より、統計資料等を分割
 
   水巻町全図」- - - --------------- 昭和38年の地図 + 昭和49年の写真
   昭和25年水巻町全図------------------昭和25年の全図 + 昭和34年を追加
   「閉山後の社宅街」- - -  -------------昭和47年・49年・56年の社宅街跡の写真*更新*
   社宅街・終焉の記録--------------------昭和50年〜61年頃の閉山後の写真

( 1-高尾区 2-古賀区と梅ノ木区 3-宮ノ下と杁 4-杁クラブ 5-杁合宿 )

   「事務所跡・終焉の記録」- - -----------日炭事務所跡の解体工事の写真
   第一鉱と鯉口区社宅--------------------第一鉱・鯉口区社宅・下二小学校

( 昭和28年・大洪水の写真を追加、鯉口区社宅の写真を追加 )

     日炭高松の鉱区と炭層-------------------採炭鉱区と炭層・三好炭坑・興梠所長
      昭和14年の高松炭鉱-------------------日産化学工業時代の写真・頃末小学校*更新*
     昭和15年の高松炭鉱-------------------日産化学工業時代の写真・鮎川義介
      昭和17年の高松炭鉱-------------------日産化学工業時代の写真・訓練所
   「日炭高松・炭鉱の概要-------------------株主向けに作成したパンフレット3冊 

   「日炭・山田炭鉱の記憶-------------------日炭山田炭鉱の歴史・写真・坑外図等 *更新*

     昭和10年代の日炭高松新聞--------------日炭高松新聞と10年代の会館や倶楽部等 *新規*
      昭和30年頃の日炭高松新聞----------------第二鉱と、高尾区社宅の土地のルーツ *新規*
 

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昭和30年代の日炭高松炭鉱 --- ( 「 直方市石炭記念館」 の御厚意により、写真を掲載しました) 
       1-第一鉱 2-第二鉱・大君鉱 3- 第三鉱・第四鉱 4-二島鉱 --(昭和31年8月と昭和32年8月の撮影分) *更新*
       5- 直方市石炭記念館と日炭高松の蒸気機関車 6-大君鉱業所跡と三ッ頭  
 
      日炭高松の第六竪坑跡------------------蜑住の第六竪坑と現在の跡地
      河守炭坑の遺構(?)・石炭運搬線の遺構」-------堀川運河と199号線横に残る遺構
      鳳炭坑の蒸気捲揚機台座跡---------------鳳炭坑の捲揚機台座跡が破壊されました 
      常磐(ときわ)坑の遺構----------------------- 第一鉱跡の北側に残る遺構
      故郷の散歩道 -----------------------------二鉱山ノ神跡の現在 + 山上からの展望
      日本炭礦・中央病院----------------------- 日炭中央病院 + 二鉱・専用線跡地*更新*
      現存している浅川区・中央区社宅跡---------浅川と頃末に残っている日炭の社宅跡 
      現存している道岸社宅跡 --------------------二島に残っている日炭の社宅跡 
     洞海-くきのうみ-二子島-------------------洞海-くきのうみ-は、洞海湾の西側にありました 
 
      頃末小学校・水巻中学校-----------------我が母校の歴史と写真
     「昭和40年頃の水巻中学校--------------- 昭和40年頃の水巻中学校と通学路
      昭和2742年の水巻中学校-------------- 校舎本館の新築工事と20周年記念碑等
 

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大辻炭鉱・中鶴炭鉱の記憶 ---( 「香月小学校・郷土資料室」 の御厚意により、写真を掲載しました)

   香月線と大辻炭鉱の遺構-----------------香月線の歴史と大辻炭鉱の歴史等
   大辻炭鉱・岩崎炭鉱の遺構---------------大辻炭鉱の変電所跡・ホッパー跡等
   大辻炭鉱と香月町-----------------------香月小学校・郷土資料室の写真・地図等
   日炭高松-中鶴炭鉱-大辻炭鉱-------------昭和30年頃の大型パノラマ写真等
   「遠賀郡の炭鉱明治39年-----------------明治39〜43年の各炭鉱の詳細説明
   大辻炭鉱の歴史 (追加分)--------------------大辻炭鉱・初期の写真と歴史年表

( 「 ナカマ・カメラスタジオ」 の御厚意により、写真を掲載しました) 

   中鶴炭鉱の歴史 (追加分)--------------------中鶴炭鉱の歴史と写真
   中鶴炭鉱の歴史 (追加分-2)------------------中鶴炭鉱の歴史と写真
   中鶴炭鉱の歴史 (追加分-3)------------------中鶴炭鉱の歴史と写真 
   東中鶴鉱・新中鶴鉱の遺構---------------中鶴三坑・東中鶴鉱・新中鶴鉱の遺構

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折尾駅-今昔物語 -------------------------折尾駅の歴史と写真 
   「折尾駅と折尾の歴史---------------------折尾駅と折尾町の歴史年表 *更新*
   「懐かしき折尾駅」 -- -明治〜昭和の折尾駅  -九軌と西鉄・折尾駅前再開発と堀川運河
   「現在の折尾駅」 --- - 折尾駅周辺の風景   -折尾駅構内と西鉄電停跡
                                      -折尾駅前の現状*新規* -折尾駅周辺の現状 *新規*
   「昭和40年代の堀川・折尾駅前 ---------------折尾駅前の風景・折尾中央映劇を追加
   「折尾劇場跡と折尾警察署旧庁舎-------------劇場跡と警察署旧庁舎の歴史と写真*更新*
 

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折尾町-今昔物語 -------------------------折尾町の歴史と写真 
    「懐かしき折尾町」 -- -折尾公園   -遠賀公会堂  -総合整備事業   -乾繭倉庫
                                    -折尾地区総合整備事業  -折尾高等女学校〜折尾高校
                  -折尾駅周辺連続立体交差事業 -折尾地区の昔の町名 *新規*
    三好炭鉱本社・三好中央病院--------------折尾駅前の建物(明治末期〜昭和初期) *更新*
    折尾地区の歴史 ------------------------検討中の歴史年表 *新規*  
      

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**** 新しい写真・資料を発見次第、随時追加アップします ****

( alphaEDIT+各種フリーソフトの使用で、平面的・シンプルなサイト構成を継続します )

開設の経過と

お願い

  最初は検索で日炭高松炭鉱を探しましたが、ほとんど見つける事が出来ませんでした、閉山からの時間の経過を痛感しました
   水巻町役場や図書館等での資料探しから始めました  下記の
2冊の水巻町誌と、2冊の労組史等が大変参考になりました
  当初は2・4・5の3ページを予定していましたが、2013/03/08
には96ページになりました
  管理人が中学・高校時代に撮影した写真のネガが少なく、写真探しには苦戦しております
  皆様からの情報の提供と、写真の提供を
お願い致します                      (平成26年で、閉山から43年になりました)

著作権について 

  管理人に帰属します。  個人的観賞に限って制限はありませんが、二次使用・掲載については、先ずご連絡下さい。

画面の表示 

  I.E.6以上と、モニター1024×768以上で最適に表示されます。  写真が多いので、ブロードバンド回線がお奨めです。

 参考文献

 参考写真集 

 参考サイト

 関係機関等

 
* 『水巻町誌』 ------------------------- (水巻町郷土誌編集委員会/1962)
* 『増補・水巻町誌』 --------------------- (水巻町誌編纂委員会/2001)
* 『日炭高松組合十年史』---------------- (日炭高松労働組合編/1959) 
* 『地底からの雄叫び』------------------   (宮本忠人/2000)
* 『忘れ得ぬ其日』満州の思い出--------   (興梠友兼/1970/1960)
* 『追憶・日本炭礦・思い出のアルバム』----- (日本炭礦/1966)
* 『水巻おもいでの写真集』 --------------- (水巻町/1990) 
* わたしたちのまち水巻 ---------------- (水巻町/2002)
* 水巻町・町勢要覧 ------------------- (水巻町/1980)
* にっぽん俘虜収容所 ----------------- (林えいだい/1991) 
* ふるさと飛行・福岡県航空写真集 ------- (西日本新聞社/1983/1989)  
* 頃末小学校・五十年史 --------------- (頃末小学校/1988)  
* ふるさと思い出の写真集・八幡 (1982)  * 写真集・福岡100年 (1986)       * 筑豊石炭礦業史年表(1973) 
* 筑豊炭礦誌 (1975)-高野江基太郎 * 中間市史 (1978)  * 直方市史 (1978)
* 遠賀郡誌 (1961)  * 八幡市史 (1959)  * 福岡県史 (1997) 
* 芦屋町誌 (1972)  * 芦屋町制・百周年記念誌 (1991) * 福岡県・百科事典 (1982)   
* 北九州市史 (1983)  * 北九州市・土木史 (1998)  * 北九州市・産業史 (1998) 
* 山田町誌 (1953)  * 山田市誌 (1986)  * 志免町誌 (1989) 
* 東筑・百年史 (1998) * 折尾高校・20周年記念誌 (1977) * 水巻中学校・50周年記念誌 (1997)
* 若松信用金庫・40周年記念誌 (1963) * 折尾女子学園・50年通史 (1985)

*   

* 遠賀信用金庫・50周年記念誌 (1999) * 香月小学校・小史 (1984) * 楠橋小学校・百年史 (1975) 
* 水巻町全域・航空写真集成図(1972) * 八幡市字図大鑑・折尾版 (1959)  * 知名士写真名鑑・遠賀郡 (1955) 
* 八幡信用金庫・77年の歴史 (1995)  * ふくおか絵葉書浪漫 (2004) * 昭和の遠賀堀川 (2005) 
* 杁小学校・百十年史 (1985)  * 下二小学校・記念誌 (1986)  * 折尾史跡めぐり
* 水巻町地名簿 (1993) * 石炭物語 (1990)-柴田貞志 * 筑豊近代化大年表 (1999)
* 門司港誌(1897) * 筑豊四郡・煤田調査報分(M.37) * 香月(大辻)小学校史(1975)
* 写真集・明治大正昭和-中間 (1980)  * 大正鉱業・回想記 (2000)  * 大正鉱業・始末記 (1965) 
* 遠賀中間医師会・六十年史 (1969)  * 日本石炭鉱業大観 (S.14)  * 石炭大観(S.17)
* The RAIL-No.16- (1985)  * 九州・鉄道の記憶 2 (2004)  * 北九州の近代化遺産(2006) 
* 『ボタ山のあるぼくの町』-山口勲  * 『筑豊・ヤマが燃えていた頃』  * 『若松市・S.28・市勢要覧』 
* 直方市石炭記念館  * 香月小学校・郷土資料室 ナカマ・カメラスタジオ 
* 九州大学・石炭研究資料センター * 九州大学・デジタルアーカイブス * 中間市歴史民俗資料館
* 法政大学・大原社会問題研究所  * 神戸大学・新聞記事文庫  * 九州工業大学・筑豊歴史写真ギャラリー 
* 国土交通省・国土画像情報 (S.49・S.56)  * 国土交通省・国土変遷アーカイブ * 日本工学会・工学会誌
* 国立公文書館・アジア歴史資料センター  * 国立国会図書館・議会官庁資料室 * 国立国会図書館・近代デジタルライブラリー
* 九州大学・図書館・記録資料館 * 福岡県・県史だより   * 中間市教育委員会
* 吉田小学校  * 北九州市-建築都市局-区画整理課         * 北九州市-建築都市局-再開発課 
* 中間市役所・秘書課  * 中間市役所・土木課  * 水巻町歴史資料館 
* 九州共立大学・図書館  * 九州女子大学・図書館  * 中村学園大学・図書館 
* 頃末小学校・卒業アルバム * 水巻中学校・卒業アルバム * その他--協力者所有の個人資料・写真等 

(参考文献・参考サイト等を追加・整理)

写真・協力者 

  *糸山様 *磯部様 *小野様 *大野様 *加島様 *香山義憲様 *川原様 *佐藤幸乃様 *瀬川様 *田中様 *中川様 *久野様 *三宅様 *森長様    

〃 

  *矢野様 *F.K.様 *S.T.様 *折尾中央映劇 *春風亭 *東筑高校図書館 *日本地所建設 *二島興業 *水巻町建設課 *水巻町図書館

使用カメラ

  Pen-F,  FT-A, C@Mail,  C-720UZ, X- 70,                      *** 写真・情報等のご提供、感想のメールは、こちらにお願い致します

管理人について  

  手習 始    (五十の手習で始めましたが、すでにアラ還となりました-- M I M A T A.. S h i g e r u..) 
  ・昭和24年--日炭・高尾区楓町の生まれ    ・昭和31年--頃末小学校に入学     ・昭和37年--水巻中学校に入学 
  ・昭和40年--折尾高校に入学   ・昭和41年--高尾区楓町より香月に転居   ・平成22年--折尾郷土史会に入会      

主な更新内容 

  (2004/08/10) 「水巻町全図-1-2-3」を追加、 (10/01) 「社宅街・終焉の記録」を追加、 (10/04) 「昭和40年頃の水巻中学校」を追加                                                               

〃 

  (10/08) 「昭和27〜42年の水巻中学校」を追加、 (10/17) 「第一鉱と鯉口区社宅」を追加、 (11/02) 「日炭高松の第六竪坑跡」を追加

  (2005/01/13) 「日炭高松の鉱区と炭層」を追加、 (01/27) 「昭和25年・水巻町全図」を追加、 (02/06) 「明治・大正期の関連資料」を分割

  (02/09) 「5-折尾地区総合整備事業」を追加、 (02/16) 「閉山後の社宅街-1-2」を追加、 (02/22) 「高尾区社宅-2」「社宅街-2」を分割

  (04/09) 「日炭高松・炭鉱概要」を追加、 (04/17) 「香月線と大辻炭鉱の遺構」を追加、 (04/21) 「大辻炭鉱・岩崎炭鉱の遺構」を追加 

  (04/27) 「大辻炭鉱と香月町」を追加、 (05/01) 「日炭高松の社宅街-3」を追加、 (06/23) 「昭和15年の高松炭鉱」を追加 

  (06/28) 「日炭高松-閉山後の変遷」を分割、 (07/10) 「日炭・山田炭鉱の記憶」を追加、 (08/14) 「閉山後の社宅街」を3分割 

〃 

  (08/14) 「堀川運河の歴史と現在」を2分割、 (08/28) 「事務所跡・終焉の記録」を追加、 (08/29) 「事務所跡・終焉の記録-2」を追加

〃 

  (10/22) 日炭高松-中鶴-大辻炭鉱を追加、 (11/02) 「6-折尾高等女学校〜折尾高校」、 (12/28) 「明治39年-遠賀郡の炭鉱」を追加 

〃 

  (2006/01/09) 大辻炭鉱の歴史-(追加分)」を追加、 (02/28) 「中鶴炭鉱の歴史-(追加分)」、「中鶴炭鉱の歴史-(追加分-2)を追加 

〃 

  (03/29) 中鶴炭鉱の歴史 (追加分-3)」 を追加、 (11/07) 「三好炭鉱本社・三好中央病院」を追加  

  (2007/02/14) 「鳳炭鉱の蒸気捲揚機台座跡」を追加、 (04/15)現存している浅川区・中央区社宅跡を追加

  (04/17) 「現存している道岸社宅跡」を追加、 (06/30) 「7-折尾駅周辺連続立体交差事業」を追加、 (10/24) 「昭和14年の高松炭鉱」を追加 

  (11/10) 昭和17年の高松炭鉱を追加、 (11/11) 「日炭高松の社宅街-4」を追加、 (11/18) 日炭高松の社宅街-5」を追加

  (2008/04/08) 背景の写真サイズを変更、 (04/19) 「 大辻炭鉱・中鶴炭鉱の記憶」を追加、 (05/06) 「洞海-くきのうみ-と二子島」を追加 

  (05/07) 東中鶴鉱・新中鶴鉱の遺構を追加、              (2010/10/01) 背景の写真サイズを変更、

  (2011/03/13) 「折尾地区の昔の町名 」を追加、 (03/16) 「折尾駅前の現状」を追加、  (03/16) 「折尾駅周辺の現状 」を追加、

〃 

  (04/24) 「昭和10年代の日炭高松新聞」を追加、 (04/26) 「昭和30年頃の日炭高松新聞」を追加、 

 (2013/03/08) 折尾地区の歴史 を追加、

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(注)---「えぶり」の漢字表記について 

本来は、「木偏に八」と書きますが---当サイト内では、「杁」を使用しています 

( 使用例---杁社宅・杁クラブ・杁合宿・杁小学校 )  

( 一部に「朳」を使用していますが、変換されていないかも・・・・ ) 

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(注)---「ひらた船」の漢字表記について  

本来は、「舟偏に帯」と書きますが---当サイト内では、ひらがな表記をしています 

( 使用例---川ひらた・ひらた舟・ひらた船 ) 

( 一部に「川艜」を使用していますが、変換されていないかも・・・・ )  

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(注)---「たんこう」の漢字表記について

( 使用例 ) 

○○炭鉱 

一般的な表記 

日炭高松炭鉱 

○○炭礦 

会社名等の固有名詞 

日本炭礦 (株) 

○○炭坑 

中小炭坑や坑口

三好炭坑・釜ヶ谷坑 

参考文献や資料等の作成年代により、当サイト内にも混同があります


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 「日炭高松」--       

昭和 9年7月に三好鉱業と大君鉱業を買収して、日本炭礦(株)が設立され、「日本炭礦・遠賀鉱業所」が誕生しました。
買収した高松坑を「日炭高松」、梅ノ木坑を「日炭梅ノ木」、高尾坑を「日炭高尾」と呼ぶことになりました。
昭和10年に高松第二鉱を新規に開坑して、11年に
梅ノ木坑を閉鎖、12年には高尾坑が閉鎖され、
「日本炭礦・遠賀鉱業所」が「日炭高松」と呼ばれるようになりました。
戦前には「日産高松」等の表記もありますが、戦後に結成された「日炭高松・労働組合」の活躍により定着したようです。 

「高松」-- 

日本炭の高松区社宅(大字古賀)の跡地が、現在では「水巻町高松」となっていますが、元々は地名ではありませんでした。
水巻村大字吉田片山に、遠賀川岸からも見える松の大木があり、これを高松と呼んでいました。
明治18年に片山炭坑(大野麓)が開坑⇒明治32年に高松鑛山(熊本重千代)と改称され⇒明治44年に高松炭坑(三好徳松)⇒
⇒日炭高松(日本炭)→高松区社宅(水巻村大字古賀)へと続きます。
 

「高尾」-- 

日本炭の高尾区社宅の跡地が、現在では日吉台と「水巻町高尾」となっていますが、元々は地名ではありませんでした。
日本炭の前身である三好炭鉱の三好徳松が、大正初期から( 好んで?? )炭坑名に使用しました。
「第二三好坑」→「高尾二坑」・「高尾三坑」→「高尾二三坑」→「大君高尾坑」→「高尾三坑」⇒日炭高尾(日本炭)→高尾区社宅。 
「三好坑」→「高尾坑」→「高尾高松二坑」→「高尾坑」⇒日炭高尾(日本炭)→高尾区社宅(大字頃末釜ヶ谷)へと続きます。 

「日吉台」-- 

日本炭の高尾区社宅の跡地が、現在では「八幡西区日吉台」の(3丁目辺り)となっています。
折尾駅の南北には、芦屋町〜大君〜高須〜浅川〜高尾〜鯉口〜吉田〜岩瀬〜中間市へと続く丘陵地帯がありましたが、
日ノ峰山・浅川ボタ山・吉田ボタ山以外の殆んどが、現在では住宅地に変わっています。
折尾駅の北西側一帯は、以前は日吉町と呼ばれていました。 

「高尾」-再考 

日本炭の高尾区社宅は、遠賀郡水巻町・若松市・八幡市の境界線の丘陵上部にありました。
『水巻昔ばなし』では、高尾は水巻村大字頃末の字名ではないが、昔からあった地名を炭坑名に付けたとしています。--(A)
頃末小学校の北側の、 高尾浄水場〜高尾五坑〜高尾変電所のあった尾根一帯のようです。
『遠賀郡誌』-(大正6年・昭和37年復刻版)には、島郷村大字浅川の項に、小名として高尾・長谷が記載されています。--(B)
しかし、大正6年のオリジナル版には小名の記載は全くありませんので、昭和37年の復刻時に追加された事がわかりました。
数種の地図を見ましたが、表示は全て浅川長谷でした。  今は、若松市の地名簿・字図を探しています。
『増補水巻町誌』には大字吉田高尾がありますが、『遠賀郡誌』と『水巻町誌』では小名高雄となっており、高雄山だったかも???--(C)
三好徳松が住宅や炭坑本社を建てた折尾は、現在の堀川町・西折尾町が、以前は天神町・高尾町・八千代町でした。--(D)
大正9年の国道3号線開通以前には、高尾座(折尾劇場)前の高尾通りが、頃末村⇔折尾駅の近道でした。
三好徳松の住宅は折尾駅の北側にありましたが、小高い丘の上の豪邸だったようです。 
もしも高尾町の高台であれば、東には炭坑本社が、西には高尾五坑の大煙突が、南には折尾炭坑⇒折尾高等女学校が見えました。
(A)の昔からの地名説だと思いますが・・・・、折尾の高尾町はいつ頃からあったのでしょうか。

「高尾」-結論? 

『福岡縣史資料・第六輯』-(昭和11年)の、「明治十五年字小名調」によると、
大字・浅川の項に、字小名として高尾と長谷が記載されています---(A)・(B)の再確認となりました。
地図上の表記例から、大字・浅川・字・長谷・小名?・高尾と考えます。
大字・吉田の項には、字小名として高雄と記載されています。---(C)の再確認
しかし、明治33年の地図には、高尾山と表記されています。 

「高尾」-続く 

昭和12年の、「大字・浅川--字・山ノ谷、高尾、宮ノ脇、水洗、蠣灰、長谷」の字図を見ると、
「大字・浅川-字・高尾」は、現在では北九州市八幡西区自由ヶ丘で、
福原学園の九州女子大学・九州女子短期大学・九州共立大学・自由ヶ丘高校となっています
 

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