河守炭坑の遺構か(?) 

堀川運河や河守神社の周辺を歩きましたが、雑草に覆われていて見過ごしていました

近所の方の話では、明治時代からの物で、東側には坑口跡とトロッコ線路もあったそうです

 日炭高松組合十年史 』を再読すると---鳳炭坑の蒸気捲揚機の台座跡のようです

平成19年2月---「吉田東3丁目地区・急傾斜地崩壊対策工事」により、完全に破壊されて、現存してはいません



船積桟橋の遺構か???

  

 

 

 

 

 

 

河守神社から、南西に約100m

吉田小学校の北西にあります

横幅は、約5〜6m程です

候補としては・・・・

御輪地炭坑(明治20年〜)

島津炭坑(明治20年〜)

第二御輪地炭坑(明治21年〜)

河守炭坑(明治23年〜)

鳳炭坑(明治25年〜)等ですが・・・・

今は上部が畑になっています

石炭の運搬には、便利な場所です

堀川に架けた、船積桟橋の跡か???

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『鳳炭坑の蒸気捲揚機台座跡』と判明しました

堀川運河の上には、鳳炭坑〜船積場間に

空中送炭エンドレス線が架っていました

『昭和の遠賀堀川』に、スケッチ画があります


鳳炭坑の蒸気捲揚機の台座跡  (平成18年11月撮影)

 

北側から見た捲揚機台座跡---町役場?の測量が行われたようで、台座跡の上部が確認できます---かつては左側に坑口跡があった 

 

西側から見た捲揚機台座跡---堀川運河の250年前の鑿跡を見捨てた水巻町に残っていた、唯一の明治・大正時代の炭鉱遺跡でしたが・・・・


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石炭運搬線の遺構 

送炭エンドレス線の橋台跡


三好炭坑時代の、送炭用エンドレス線路の橋台跡です---
(大正3年頃の建設)

釜ヶ谷坑(高尾鉱)〜折尾駅・積込場間の864mをエンドレス線で送炭し、高松坑や梅木坑ともエンドレス線で接続して、   

旧来の曲川や堀川運河の「川ひらた」での水上輸送から、鉄道貨車輸送に切替える。  大正14年には、折尾駅〜頃末間に専用鉄道の敷設工事を開始します。↓

199号線・折尾トンネルの東側に残っています、南側はJR折尾保線支区で、線路跡は日吉台団地への進入道路になっています。

 

 

 

 

平成19年11月---93歳のエンドレス橋台跡 

筑豊本線の迂回ルートの工事により、ついに三好炭鉱のエンドレス線橋台跡にもゲームエンドのホイッスルが鳴ったようです 

 

     
 

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日炭高松・専用線のガード跡

 
 

三好鉱業と日炭高松炭鉱の送炭用専用鉄道のガード跡です---(大正14年頃の建設)   

     

 

                   北側から見た、専用線ガード跡と鹿児島本線のトンネル通路     南側から見た、明治24年頃に建設のトンネル通路

鹿児島本線のトンネル通路の中から見た、送炭専用線のガード跡と石垣 

 専用線の跡地には、駐車場やマンションが・・・・

 

199号線・折尾トンネルの西側に残っています。  水巻町頃末まで鹿児島本線と並行していましたが、現在ではこのガード跡だけになりました。

種田山頭火の詠んだ---「風のトンネルを抜けてすぐ乞いはじめる」(昭和7年)---は、199号線・折尾トンネルのようです

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日炭高松炭鉱の記憶 

昭和30年代の日炭高松炭


更新日 '07/11/24  (常磐坑の遺構)





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