閉山後の社宅街 -1 (昭和49年) |
日炭高松炭鉱(日本炭礦株式会社)は、昭和46年に閉山しました
当時の社宅・炭住街は、全てが新たな住宅団地等に生まれ変りました
( 国土画像情報-S.49-S.56-空中写真より )
( S.47の航空写真を追加 )
( 1.- 二島鉱、二島区、浅川区、第三鉱 ) ( 2.- 三ツ頭・五鉱区、古賀・梅ノ木・高松区、第二鉱、高尾区 )
( 3−杁・宮ノ下社宅、中央・鯉口区、吉田・片山区 ) ( 現在の地図はここをクリック )
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昭和49年の東二島地区で、右上が道岸社宅跡です 現在の東二島1丁目と、2丁目の上部にありました |
平屋四軒長屋のようですが、情報に期待します 上部の左側は、職員社宅跡と思われます |
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道岸社宅跡の一部を拡大しています---左下に日吉神社、右は鉱員社宅跡、配給所と共同浴場跡は推定です |
「現存している道岸社宅跡」を追加 |
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昭和49年の二島鉱(若松鉱)跡です 東側の貯炭場の跡地から、新たな二島工業団地へと整備が進んでいます |
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(左が北になります) 昭和49年には、7階建の二島選炭場もその姿を消しています 左の二島駅近くの建物は、二島の社員社宅跡と思われます |
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(左が北になります) 昭和49年のアップでは、二島鉱の斜坑跡もほぼ確認できます 二島社宅の右側建物は、蒼海寮跡と思われます |
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<< 浅川区社宅跡の全景 - 昭和47年 >> |
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(右が北になります) 昭和47年には、浅川区の縄手社宅の周辺から、浅川台団地への整備が進んでいます |
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<< 浅川区社宅跡の全景 - 昭和49年 >> |
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(右が北になります) 昭和49年では、縄手社宅の周辺には、浅川台団地の市営住宅等の建設が進んでいます |
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(右が北になります) 昭和56年には、浅川台団地は完成しています 日ノ峰山の周囲では、浅川日の峯団地の整備が進んでいます |
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平成12年頃の、水巻町と浅川地区です おらび山・日ノ峰山・日峯神社以外は、全てが住宅団地に変わっています |
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昭和47年の、日峯神社の北側の社宅跡です 白亜荘の南側の一部が残っています |
白亜荘の北と西側が上町、白亜荘の東側が竹下町のようです 日峯神社の東側が宮前町のようです |
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<< 浅川区社宅跡-1 - 昭和49年 >> |
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昭和49年の、日峯神社の北側の社宅跡と浅川小学校です 左の空地には、白亜荘がありました |
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<< 浅川区社宅跡-2 - 昭和47年 >> |
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昭和47年の、日峯神社の南側の社宅跡と浅川マーケット(配給所)跡です 共同浴場跡が確認できます |
配給所より西側が幸町、東側が日ノ峰町のようです |
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<< 浅川区社宅跡-2 - 昭和49年 >> |
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昭和49年の、日峯神社の南側の社宅跡と浅川マーケット(配給所)跡です 東側には、第三竪坑の跡地も確認できます |
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「現存している浅川区・中央区社宅跡」を追加 |
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昭和47年の、縄手社宅跡と(三鉱入口)縄手バス停です 三鉱山ノ神のあった山は、既にその姿を消しています |
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昭和49年の、縄手社宅跡と(三鉱入口)縄手バス停です 市営住宅等の建設が進んでいます |
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<< 第三鉱 (浅川鉱) 跡 - 昭和47年 >> |
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(左が北になります) 昭和47年の第三鉱の跡地では、坑口跡が確認できます 右は、整備前の二鉱ボタ山です |
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<< 第三鉱 (浅川鉱) 跡 - 昭和49年 >> |
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昭和49年の第三鉱の跡地には、浅川台団地の整備が進んでいます 三鉱トンネル跡では、高松団地の建設が進んでいます |
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平成12年頃の、梅ノ木・高松・おかの台・浅川台団地です 二鉱ボタ山跡の周囲も、整備が終わっています |
昭和30年代の日炭高松炭鉱 |