日炭高松・第一鉱と鯉口区社宅 |
( 写真と記念誌・森長様提供 )
閉山前後の日炭高松・第一鉱と、閉山後の鯉口区社宅の写真
蒸気機関車D-51や下二小学校の写真もあります
( 昭和28年・大洪水時の写真を追加 )
( 鯉口区社宅の写真を追加--6/12--瀬川様提供 )
日炭高松・第一鉱の記憶 |
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昭和29年頃---第一鉱・常盤坑の坑口 | ||
第一鉱の北東側にあった常盤坑は、昭和31年に出炭が開始され、昭和41年に閉山しました | ||
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常盤坑の坑口には、日炭のマークが見えます 昭和38年---第一鉱・新坑の巻上げ機前 | ||
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昭和40年頃---一鉱山ノ神から見た一鉱ボタ山と、ボタ山の麓に片山区社宅 | ||
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昭和40年頃---一鉱山ノ神から見た吉田区社宅と下二小学校、後方に明神ヶ辻山と多賀山 | ||
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(西日本新聞社) 昭和28年6月27日頃---遠賀川の大洪水 | ||
左に芦屋町と遠賀村、中に遠賀川、右に水巻町です--右上に明神ヶ辻山・多賀山・二鉱ボタ山・日ノ峰山・白島等が見えています | ||
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昭和28年6月---遠賀川の大洪水時と思われます 一鉱繰込場のゲートと、右後方に中鶴鉱の蓮花寺ボタ山も見えています | ||
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筑豊本線のガード横から見た一鉱前では、約1m程が水没しています 下の写真で、同じ建物が確認できます | ||
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昭和50年頃---第一鉱跡地から見た筑豊本線ガードと、右上に吉田区社宅跡 左側の建物は、現在も残っています | ||
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左に、東水巻駅のホームが見えます 一鉱山ノ神のあった山は、削り取られ住宅地になっています | ||
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昭和52年---吉田側から見た筑豊本線ガードと一鉱ボタ山 昭和63年---ガード南側に、東水巻駅が開設されました | ||
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昭和52年---整地前の第一鉱跡地と一鉱ボタ山、右に片山区社宅跡地 | ||
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昭和20年代前半---一鉱山ノ神でのお花見と思われます | ||
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昭和29年頃---道路完成記念の仮装行列のようです | ||
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昭和30年頃---吉田公民館の落成式と敬老会のようです |
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鯉口区社宅の記憶 |
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昭和53年に撮影された---撤去直前の鯉口区社宅の二階建八軒長屋 |
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鯉口区社宅は、西側から撤去されているようです---東側にあった山は造成され、美吉野団地になっています |
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鯉口区社宅の東側は、高台になっていました---背後にあった山は削られ、美吉野団地が迫ってきています |
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東側から見た---鯉口区社宅の高台部分の二階建八軒長屋---( 3号棟から見た、19号棟〜21号棟が見えています) | |
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昭和47年頃---鯉口区社宅の二階建八軒長屋---( 鯉口区には、9坪と10坪の2種類の二階建八軒長屋があったようです) |
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蒸気機関車の記憶 |
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昭和49年頃??---吉田の複々線区間での、D51の重連運転のようです 第一鉱跡の吉田工業団地には、進出企業の建物が見えます |
列車の左下には、一鉱閉山後に映画館があったようです 右下に、東水巻駅が建設されます |
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昭和40年代---複々線区間での石炭運搬列車の通過です |
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左は昭和49年頃??---D51の重連運転と思われます |
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昭和49年頃??---お別れ運転でのD51三重連と思われます |
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下二小学校・記念誌 (S.61)より |
昭和49年に下二小学校は、吉田と伊左座小学校の2校に分轄されました
昭和52年には、水巻南中学校が跡地に新築移転しました
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昭和初期の下二小学校 |
昭和45年頃の下二小学校 (2階は図書室) |
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昭和33〜35年頃の下二小学校 (水巻中学校の本館・玄関と全く同型です)---(1/30矢野様提供) | |
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閉校前の下二小学校と旧プール |
昭和47年頃の下二小学校 (煙突は職員室) |
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昭和49年 の下二小学校と新プール |
昭和56年 の水巻南中学校 |
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日炭の社宅街で遊んでいる子供達 |
社宅街での通学風景 |
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西側から見た、片山区社宅と一鉱ボタ山---片山配給所や共同浴場が見えています | |
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一鉱ボタ山から見た---下二小学校と筑豊本線 |
一鉱山ノ神から見た---吉田配給所と選炭場 |
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(車返の切貫きと、ひらた船)-----------明治〜大正頃の堀川運河--------------(吉田-現・貴船橋附近) |
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昭和30年代の日炭高松炭鉱 |