昭和30年代日炭高松・第一鉱

福岡県遠賀郡水巻町(南部の吉田・片山)と中間市(北部の岩瀬)にあり、昭和41年2月に閉山しました

( 鉱業所名の変遷---遠賀鉱業所・第一鉱⇒昭和32年・第一鉱業所 )

( 第一鉱・本坑---大正15年に着炭、新坑--昭和6年に着炭---昭和 9年7月より日本炭礦が操業開始 )

( 常盤坑---昭和19年に開坑開始〜中断〜開坑再開〜昭和31年3月より出炭開始 )


昭和31年の第一鉱と社宅街

 

昭和31年に北側から見た---第一鉱と片山区社宅・吉田区社宅 

鹿児島本線の南に、鯉口区社宅と緑野社宅・水巻南中学校です  写真の右側に、下二小学校があります 

昭和32年の第一鉱業所

 昭和32年に西側から見た---第一鉱業所と片山区社宅、手前に吉田区社宅と第一竪坑(換気用)、右に赤池社宅  

  中段左から共同浴場と堀川横の労務事務所、中央に吉田配給所と吉田商店街、右に一鉱山ノ神と一鉱クラブ・吉田グランド、片山に第一高松会館と一鉱分院です

左上に見えている2つの坑口は、常盤坑の坑口です 

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昭和30年頃--吉隈橋と炭住街 一鉱山ノ神の鳥居が見えています   

       昭和40年頃の一鉱分院

              昭和30年頃--吉田グランドと一鉱事務所

             第一鉱業所坑員の産業戦士の像

                      昭和36年--メーデー集会

        昭和40年頃の一鉱繰込場

                      昭和40年頃の一鉱の人車

      昭和40年頃の一鉱繰込場の通路

 

              昭和40年頃の一鉱(常盤坑)の斜坑内部

 

               昭和29年頃--炭車で坑内へ(高松本坑?) 

 

                  昭和30年頃の一鉱ボタ山の山頂部

 

 

            昭和40年頃の一鉱・常盤坑の巻上桟橋

 

                   昭和40年頃の一鉱選炭場の沈殿池

 

           昭和41年(2/27)--第一鉱閉山式にて 

 

                  昭和41年--閉鎖された坑口 (高松本坑?)

 

      昭和40年頃の一鉱クラブと吉田幼児園

                 昭和40年頃の一鉱山ノ神 (大山祇神社)

 

       昭和40年頃の一鉱労務と堀川

     昭和33年頃--堀川と日炭専用線の鉄橋--(01/18矢野氏提供)

昭和40年頃--片山と吉田マーケット   配給所は昭和39年に、日炭マーケット(日炭商事)に変わりました

 

昭和40年頃--恵比須マーケットと商店風景  

〔 昭和23年に(新?)片山配給所を建設、昭和26年に吉田配給所を新築(25年に焼失)、昭和36年に梅ノ木配給所が焼失 〕

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昭和32年の一鉱ボタ山

    

昭和32年頃の一鉱山ノ神から見た吉田商店街と萩町、一鉱山ノ神から見た一鉱ボタ山 ---(01/24矢野氏提供)

 

昭和32年---第一鉱業所と一鉱選炭場・一鉱ボタ山

筑豊本線を桟橋で跨いで、選炭場に送炭する  右の線路合流部は、現在の東水巻駅です

(左写真) 左下が恵比須配給所(マーケット)と判明しました  配給所の左は恵比須町、中は桜町、右は萩町です---(01/18)    

 

                    昭和40年頃--第一鉱の坑内構造図 

                             ( 昭和32年頃の鉱区図 )

新坑は、既に採炭終了??のようです  常盤坑には、折尾則松に竪坑の建設計画があったようです

第一鉱業所の斜坑---高松本坑(北→南)、高松新坑(東→西)、常盤坑(西→東)---確認中です

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昭和32年の一鉱選炭場

              (左) 昭和32年に南西側から見た一鉱選炭場

    (右) ポケット上部、奥に送炭用桟橋が見えています

 

昭和40年頃の一鉱選炭場

    

 昭和40年頃に東側から見た---一鉱選炭場と筑豊本線

 昭和40年頃に東側から見た---送炭用桟橋と筑豊本線

   

  

昭和30年代---筑豊本線の上り列車と、一鉱選炭場・送炭用桟橋  

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昭和40年頃の一鉱ボタ山

    

 西側から見た---昭和40年頃の一鉱ボタ山

 南西側から見た---現在の一鉱ボタ山跡

   

 

北側から見た---昭和41年頃の一鉱ボタ山  

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昭和49年の一鉱ボタ山周辺

 

 

 

(国土画像情報・S49空中写真より)             昭和49年の一鉱ボタ山と吉田・片山地区

 

ボタ山の北側約1/4が、削り取られています  右下は、中間市にあった大正鉱業・中鶴鉱の蓮花寺ボタ山です  

 

 

 

昭和56年の一鉱ボタ山周辺

 

 

(国土画像情報・S56空中写真より)             昭和56年の一鉱ボタ山と吉田・片山地区 

片山区社宅跡の大半は、雑草に覆われています  吉田工業団地には、まだ空地があります 

  

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現在の一鉱ボタ山周辺

 

平成12年頃の一鉱ボタ山(吉田ボタ山) 

 

(吉田小学校・校区探検より)     現在の整備された一鉱ボタ山---手前より曲川と堀川・吉田団地・筑豊本線・吉田工業団地

一鉱跡は工業団地に、片山区社宅跡の大半は今も空地です  整備されたボタ山の高さは、一鉱・吉田ボタ山は66m、二鉱・浅川ボタ山は84mになりました    

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昭和32年の高松鉱業所の遠望

昭和32年に吉田区上空から見た---高松鉱業所第二鉱とボタ山・社宅街・日炭専用線

右に鯉口区社宅、左に中央区社宅、中央に労組本部  右端の二つのボタ山は、第三鉱のボタ山です

 

 

鯉口区社宅の写真がありました---左は、共同浴場と商店街です

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  ( 「第一鉱と鯉口区社宅」 を追加しました )


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更新日 '05/12/07




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