日炭高松炭鉱の社宅街-1

追憶-日本炭礦鰍P966より

 
福岡県遠賀郡水巻町にあった、日炭高松の社宅と炭住街

( 職員用の社宅と、鉱員用の炭住街 )
 
( 水巻町全図 -S.38-を追加 )


昭和30年代の社宅街

昭和31年の日炭高松の社宅街

左に鯉口区と中央区、上に杁・宮ノ下社宅、中に第二鉱と高尾区、右に古賀区と梅ノ木区・高松区です

昭和30年頃の日炭高松・第二鉱と古賀区社宅 

 

 

水巻町の戸数と人口

     

昭和35年

昭和40年

日炭の社宅名

戸数  

人 口

戸数  

人 口

五鉱区 

  210 

  1,002 

  174 

    802 

梅ノ木区 

  932 

  4,184 

  829 

  3,835 

高松区 

  637 

  2,895 

  573 

  2,477 

古賀区 

  780 

  3,567 

  698 

  3,267 

宮ノ下・杁社宅 * 

  355 

  1,862 

  325 

  1,503 

   高尾区  **

  104 

   466 

   89 

    428 

中央区 

  124 

   660 

  122 

    556 

鯉口区 

  474 

  2,244 

  376 

  1,737 

緑野社宅 *

  151 

   736 

  144 

    734 

常盤社宅 *

  138 

   637 

  120 

    518 

   吉田区 **

  786 

  3,592 

  672 

  3,030 

   片山区 **

  335 

  1,592 

  300 

  1,349 

日炭の合計 

5,046 

23,437 

4,422 

20,336 

水巻町合計 

7,628 

34,927 

7,567 

30,935 

比 率 

66% 

67% 

58% 

66% 

(二島区) 

 

 

(183) 

(???) 

中間市分の戸数と人口 (中間市史)

 

(昭和34年) 

(昭和39年) 

日炭の社宅名

戸数

人 口

戸数

人 口

 吉田・片山区 ** 

652 

3,270 

 595

2,675 

( *-宮ノ下・杁・緑野・常盤社宅は職員社宅です)

(**) 高尾区の大半は旧・若松市に属する-(S.39-全595戸)  (**) 吉田区の一部、片山区の大半は中間市に属する
旧・若松市に属する-三ツ頭・三鉱地区・浅川地区・二島地区、芦屋町の大君は調査中です
( 若松市に属する-高松区に長谷社宅 ) ( 中間市に属する-吉田区に赤池社宅 )
( 浅川地区に縄手社宅、三ツ頭に丸ノ内社宅 ) ( 東二島に道岸社宅 )
***浅川地区の写真は、第三鉱のページに掲載しています***

( 昭和24年3月---社宅数 6,475戸、寮・合宿 20戸---「整備計画認可申請書」より ) 

 

水 巻 町 の 人 口 推 移

年 度

日本炭礦分合計

(鉱員数)

水 巻 町 合 計 

記事 

昭和20年

 

6,227人

4,223戸-20,492人

 

昭和25年

 

8,719人 

7,190戸-32,893人 

 

昭和30年 

 

6,035人 

6,577戸-32,245人 

 

昭和35年 

5,046戸-23,437人 

7,283人 

7,628戸-34,927人 

 

昭和36年 

 

6,383人

7,818戸-35,093人 

人口のピーク 

昭和40年

4,422戸-20,336人 

2,963人?

7,567戸-30,935人

 

昭和45年

 

1,328人?

7,174戸-27,158人 

(41年一鉱閉山)

昭和46年 

 

 

6,876戸-24,138人 

日炭高松の閉山 

昭和48年 

 

 

6,951戸-23,843人 

人口の減少 

昭和50年 

 

 

7,228戸-24,377人 

 

( 鉱員数のピーク・・S.22-9,198人・・S.23-9,727人・・S.24-9,167人 ) 

( 昭和24年3月---従業員数・男-10,366人、女-1,152人---「整備計画認可申請書」より ) 

 

               日炭高松の社宅区内で使用した町名     (判明分のみ)

社宅名

町 名

三ツ頭区

あやめ町・若葉町・五月町

梅ノ木区

新町・京町・幸町・西町

高松区

北町・新北町・本町・東町・西町・仲町・栄町・旭町・菫町

高尾区

桂町・梅町・桜町・緑町・柏町・楓町

吉田区 

恵比須町・桜町・萩町・菊町・旭町・宮前町

片山区 

本町・末広町・錦町・月見町・日の出町・仲町・新町・稲荷町

常磐区

泉町・京町・高見町・緑町・五月町・西町

浅川区

縄手町・幸町・宮前町・日ノ峰町・竹下町・上町

 
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二島区社宅の写真

(若松信用金庫-1963より)                     二島区社宅と二島貯炭場の写真を発見       ( 新写真は二島鉱のページに掲載中 )             

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高松区と梅ノ木区社宅の写真 

   

     道路の左が梅ノ木区社宅

(手前の道路は、第三鉱と浅川地区の社宅街へ)

   道路の右が高松区社宅

昭和35年の梅ノ木区-932戸-4,184人

昭和35年の高松区-637戸-2,895人

昭和40年の梅ノ木区-829戸-3,835人

 

昭和40年の高松区-573戸-2,477人

昭和39年に、二鉱ボタ山から見た梅ノ木区・高松区社宅 二鉱ボタ山から見た、現在の高松団地・おかの台団地

現在の梅ノ木団地と猪熊小学校・おかの台団地・高松団地・日ノ峰山    右端の幼稚園は、下の第二高松会館横の小山に建っています

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古賀区社宅の写真

  

                  共同浴場や配給所・商店等が見えています                      炭住街の排水溝や共同便所が見えています 

 

古賀区社宅と第二高松会館

昭和35年の古賀区-780戸-3,567人

昭和40年の古賀区-698戸-3,267人

(ふるさと飛行-1983よ り)                                      昭和57年頃の梅ノ木団地と高松団地・二鉱ボタ山        古賀区社宅の数棟が、まだ残っています

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昭和25年の水巻町

***1950年の地図を一部抜粋***

高尾区の楓町部分は記入漏れのようだ

大正時代の送炭エンドレス跡は、現在も

日吉台団地への進入道路になっている

道路脇に陸橋の基礎跡が残っている

折尾公園は、桜やツツジの名所だった

園内の池に吊り橋や貸ボートがあった

三好邸の跡地は、現在は竹薮になって

います、左の道は学園大通りです

古賀区の専用線東側に、昭和18〜20年

には捕虜収容所があった

古賀区と梅木区の間に、日炭高松球場

地図上の殆どが今は住宅地になっている

「国土地理院発行の2万5千分の1地形図(折尾)-1950-より一部抜粋」 

 
               

(国土画像情報-S.49空中写真より)           昭和49年の水巻町と折尾駅周辺               上の地図の、24年後です

 

(国土画像情報-S.56空中写真より)           昭和56年の水巻町と折尾駅周辺              上の地図の、31年後です

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社宅街-2」を分割 ・社宅街-3を追加 ・ 「日炭高松の社宅街-4


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更新日 '05/10/21




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