日炭事務所・終焉の記録-2 

日炭高松炭鉱 (日本炭礦株式会社)は、昭和46年に閉山しました

水巻町頃末に残っていた日本炭礦事務所跡は、閉山から34年目の平成17年に解体・撤去されました

日炭高松の遺構は、吉田・浅川のボタ山跡と、三ツ頭診療所跡だけになりました

( 平成17年9月17日--全ての解体・撤去が終了 )


日炭事務所の解体工事

昭和10年頃に建設され、平成17年8月8日に解体工事が始まりました

 

   解体以前の日本炭礦且末ア所跡  

            8月15日---本館2階部分が解体されました

           9月17日---基礎部分を残し、全ての解体・撤去が終了しました              総合運動公園・図書館・水巻中学校が、見渡せるようになりました    

  

*******************************  

   

8月10日---本館の西側と2階倉庫が解体されました

                

8月10日---本館西側の事務室部分

8月10日---本館西側と西棟の半分が解体されました

   

  

8月12日---本館の2階部分が解体されました 

8月15日---玄関と本館東側、本館裏の小部屋が残っています

 

8月17日---本館裏の小部屋も解体され、給湯室・宿直室と便所が見えています  

8月17日---玄関と階段踊り場の便所が残っています

   

8月24日---玄関と宿直室・便所も解体され、事務所跡の半分が解体されました

 

8月24日---本館東側と東棟が残っています

 

8月24日---東棟北側の一部、給湯室・宿直室の跡が見えています

   

 

8月27日---東棟も解体され、事務所跡の2/3が解体されました

 

8月27日---北側部分と東棟の一部を残すのみとなりました

   

8月31日---西棟北側の2階建も解体され、残りも僅かとなりました  

8月31日---東棟には金庫室と、北端の一部屋が残っています

9月03日---西棟北側の2階建も姿を消し、残りは1割程になりました  

   

9月11日--(北東からの全景)--北側・西側の車庫や倉庫も解体されました  

 

9月11日--(南東からの全景)--基礎部分と東棟-金庫室・西棟-倉庫跡のみとなりました  

 

9月11日--本館玄関跡--北側の総合運動公園と水巻中学校が見えています  

   

 

9月17日--(北東からの全景)--東棟-金庫室・西棟-倉庫跡も解体され、基礎部分のみとなりました 

 

9月17日--(南東からの全景)--基礎部分を残し、全ての解体・撤去が終了しました

 

  

11月10日--(南西からの全景)--多賀山・図書館のエレベーター塔・水巻中学校・二鉱トンネル跡・高尾団地の一部が見えています 

 

11月10日---解体から二ヶ月程で、金庫室跡にもセイタカアワダチ草が咲きました  東側の通用門跡は、多くのクモの巣が往く手を閉ざしています 

*******************************

(日炭事務所跡−1)


日炭高松炭鉱の記憶 

水巻町全図−1 

水巻町全図−2 

水巻町全図−3 

昭和30年代の日炭高松炭鉱


更新日-- '05/11/11





inserted by FC2 system