三好関連・炭鉱一覧 (明治43年〜昭和5年分)

日炭高松炭鉱(日本炭礦株式会社)の前身である、三好徳松が経営した炭鉱の歴史です

明治後期から大正時代に、近隣鉱区を次々に買収して事業を拡大した


( 九州大学・石炭研究資料センターの炭鉱別石炭鉱業データベースより、三好関連の炭鉱を抜粋し作表 )

( 三好の炭鉱経営は明治37年〜昭和9年ですが、データは明治43年〜昭和5年のみ確認)

三好徳松・三好鉱業・大君鉱業の経営した炭鉱

(出炭量-t.) 

年 度 

炭 鉱 名  ( 各年度-7月1日現在 )

鉱 業 権 者 

 

 

 

 

 

(頃末)-M.37

(大君)-M.40

 

 

 

 

  89,797 

明治43年 

 

 

 

三 好 

第二三好 

 

 

 

三 好 徳 松 

170,702 

明治44年 

 

(高松) 

 

〃 

第二三好 

島 郷 

 

 

〃 

176,246 

明治45年 

 

高 松 

 

〃 

 

島 郷 

 第三大隈   

 

〃 

179,919 

大正 2年 

 

〃 

 

〃 

 

 

〃 

 

〃 

205,686 

大正 3年 

 

〃 

 

〃 

高尾二坑 

 

〃 

 

(釜ヶ谷坑〜折尾駅のエンドレス線路) 

149,887 

大正 4年 

 

〃 

 

〃 

〃  

第三大隈 

 

〃 

171,047 

大正 5年 

 

〃 

 

〃 

〃  

高尾三坑 

 

 

〃 

267,764 

大正 6年 

 

〃 

(大平) 

〃 

〃  

〃 

 

(金谷) 

〃 

336,325 

大正 7年 

(鯉口) 

〃 

大 平 

〃 

〃  

〃 

 

  金 谷    

339,612 

大正 8年 

鯉 口 

〃 

〃 

三 好 

〃  

〃 

 

〃 

三好鉱業設立-(高尾以南の鉱区) 

320,973 

大正 9年 

鯉 口 

〃 

大 平 

高 尾 

 〃  

〃 

(若松) 

〃 

〃 

286,275 

大正10年 

 

〃 

 

〃 

〃 

〃 

梅ノ木 

〃 

大君鉱業設立-(梅ノ木以北の鉱区) 

329,019 

大正11年 

 

〃 

 

〃 

高尾二坑 

 高尾三坑 

〃 

〃 

〃 

358,569 

大正12年 

 

〃 

(鳳) 

〃 

高尾二三坑

〃 

〃 

〃 

279,279 

大正13年 

 

高 松 

 高松二坑 

〃 

〃  

〃 

 金 谷  

〃 

288,712 

大正14年 

高松分坑 

 

〃 

〃 

〃 

〃 

 

(折尾駅〜頃末間に専用鉄道を敷設) 

328,786 

大正15年 

 高松分坑 

 高松本鉱 

〃 

〃 

高尾二三坑 

〃 

 

〃 

405,485 

昭和 2年 

高 松 

〃 

〃 

高 尾 

大君高尾 

大 君 

〃 

 

(専用鉄道の運輸開始) 

407,651

昭和 3年 

〃 

〃 

 高松二坑 

 

大君高尾 

〃 

〃 

 

(吉田・大君まで専用鉄道を延長) 

401,442 

昭和 4年 

〃 

〃 

高尾高松二坑

高尾三坑 

〃 

〃 

 

〃 

334,439 

昭和 5年 

高 松 

高松本鉱 

 

高 尾 

高尾三坑 

大 君 

梅ノ木 

 

〃 

 

(6〜8年) 

〃 

〃 

 

〃 

〃 

〃 

〃 

 

〃 

347,296 

昭和 9年 

日炭高松

 

日炭高尾

日炭梅ノ木 

 

日本炭礦(株)-遠賀鉱業所 

( **炭鉱 )--買収した炭鉱  ( 金谷炭鉱--田川郡金田町、その他--遠賀郡内 )

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「昭和3年(1928)--筑豊炭田地質図」  (九州大学・附属図書館・付設記録資料館所蔵の炭鉱地図より抜粋) 

 

三好鉱業・大君鉱業の各炭坑と専用鉄道、芦屋軽便鉄道(T.4〜S.6)も確認できる 


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明治39年の三好炭坑


「本邦鉱業一斑」-M.40-より抜粋

名称 

 福岡縣採掘登録--第六一号
福岡県遠賀郡水巻村・外二村--三好炭礦
礦業人--三好徳松

沿革 

本坑は曾て、頃末炭坑なる名称の下に採掘せしことあるも、一旦休業の厄運に遭遇し後
現坑主の所有に帰し、明治三十七年九月中採掘に着手せしが
翌三十八年七月洪水の為め、坑内全部浸水し一時体業せしも、九月排水を竣へ継て採掘に着手せり
三十九年八月より更に一ニの新坑を開墼し爾來継続現今に至れり 

地理 

本山は遠賀郡水巻村の東部に位し、九鐵幹線に相接近す
東は折尾村大池の山嶺に接し、北は有名なる長谷の池を負い、西は頃末の村落に而す
違賀川の支流なる曲川の水路により、若松・蘆屋の両港に送炭す
東約一哩にして折尾驛あり、北里餘にして蘆屋港に達す 

採礦 

残柱式により採礦し、坑内ノ出水は喞筒「スペシャル」式七臺を設置し排水す 

運搬 

 人力による鐵道は、切羽より捲立迄の間にして、捲竪場に炭車を集中し
汽力を以て坑外に捲揚げ、貯炭場より馬力にて運搬す
 

撰礦 

捲機により坑内より捲揚たる炭車内の石炭を「萬石」に掛け、塊・.粉の区別を為し
運炭用の炭車に積込の際、硬及粗炭を撰出す
切込炭は坑内炭車より置場に移し、運炭に當て撰炭を為せり 

 

(カタカナ表記を平仮名に変換)

(注) 

三好徳松は、明治37年より頃末炭坑を経営し、39年に鉱業権を取得し名称変更する
( 増補水巻町誌-146p・147p参照 ) 

   -------   -------

 

特第6029号--遠賀郡島門村別府--別府炭坑--三好徳松 

情報 

明治35年度に、566,327,240斤 (約339,932佛噸)の出炭実績が記載されている 

 

「筑豊四郡煤田調査報文」-M.37-より 


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三好炭坑の鉱区・坑口の変遷

地 区 

(本洞炭坑) 

買収した炭坑 

三好炭坑 (M.39〜T.8)

(若松炭鉱 T.7 ) 

三好鉱業 (T.8〜)  

大君鉱業 (T.10〜) 

日本炭礦(S.9〜) 

大 君 

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(大君炭坑) 

第二三好炭坑高尾二坑 

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高尾二坑 

高尾二坑 (7番坑)

------ 

大 君 

------ 

(大君炭坑) 

第二三好炭坑島郷第三大隈高尾三坑 

------ 

高尾三坑 

大君坑 

第五鉱 

大 君 

(大君) 

----- 

------ 

------ 

------ 

------ 

------ 

三ツ頭 

(三ツ頭) 

----- 

------ 

若松-2坑 

------ 

高尾二三坑 (1番坑) 

------ 

猪 熊 

(三ツ頭?) 

----- 

------ 

若松-3坑 

------ 

高尾二三坑 (3番坑) 

第四鉱 

樋口・梅ノ木 

(樋口・梅ノ木) 

----- 

------ 

若松-1坑 

------ 

大君高尾坑梅ノ木坑 

第三鉱 

頃 末 

------ 

(頃末炭坑) 

三好炭坑釜ヶ谷新坑 

------ 

高尾炭坑 (5番坑) 

------ 

第二鉱 

吉田・片山 

------ 

(高松炭坑) 

高松炭坑 

------ 

高松鉱高松本鉱

------ 

第一鉱 

〃 

------ 

(鳳炭坑) 

------ 

------ 

高松二坑 

------ 

------ 

若松炭鉱(T.7〜10)の坑口は、1坑--後の高松区・長谷付近、2坑--後の三ツ頭区・配給所付近、3坑--後の第四鉱・啓明寮付近にありました

( 高尾坑の区別---高尾二坑や高尾三坑は大君地区にあり、高尾二三坑は三ツ頭・猪熊地区、大君高尾坑は古賀地区、高尾炭坑は頃末地区にありました )

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明治末期の折尾炭坑--( 折尾町木屋ヶ谷 ) 

堀川運河沿いに開坑するが数年で閉鎖され、後に私立・折尾高等女学校を開校する  


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水巻町の炭鉱開坑の歴史 (明治年間)

西 暦

年 度 

炭 鉱 名    (一部は地名のみ) 

1872 

明治 5年 

吉 田 

杁 

樋 口 

本洞坑--古賀 

 

 

1878 

明治11年 

金谷坑--伊佐座 

上 二 

下 二 

 

 

 

1881 

明治14年 

本洞坑--三ツ頭 

本洞坑--樋口 

本洞坑--梅ノ木 

本洞坑--大君 

 

 

1882 

明治15年 

飯野坑--下二 

加来坑--杁 

 

 

 

 

1883 

明治16年 

頃末坑--頃末 

 

 

 

 

 

1885 

明治18年 

片山坑--吉田 

吉田坑--吉田

釜ヶ谷坑--頃末 

杁 

古 賀 

 

1887 

明治20年 

御輪地坑--吉田 

島津坑--車返 

猪 熊 

 

 

 

1888 

明治21年 

第二御輪地坑--吉田

 

 

 

 

 

1890 

明治23年 

河守坑--吉田 

 

 

 

 

 

1891 

明治24年 

梅干坑--杁 

 

 

 

 

 

1892 

明治25年 

鳳坑--車返 

 

 

 

 

 

1893 

明治26年 

肥春坑--頃末 

 

 

 

 

 

1894 

明治27年 

梅木坑--古賀 

東郷坑--古賀 

 

 

 

 

1895 

明治28年 

大君坑--山鹿 

松栄坑--古賀 

苗代坑--頃末 

     

1897 

明治30年 

長谷坑--古賀 

鯉口坑--吉田 

野添坑--吉田 

飯野坑--伊左座 

朝日坑--頃末 

福好坑--古賀 

1899 

明治32年 

京殿坑--古賀 

(頃末-高尾1坑) 

 

 

 

 

1905 

明治38年 

(頃末-高尾2坑) 

 

 

 

 

 

1906 

明治39年 

三好坑--頃末 

(三好-釜ヶ谷新坑) 

中 鶴 

 

 

 

1907 

明治40年 

沖の坑--吉田 

苗代坑--吉田 

後谷坑--吉田 

 

 

 

1909 

明治42年 

大谷坑--古賀 

 

 

 

 

 

1912 

明治45年 

梅ノ木 

 

 

 

 

 

頃末炭坑(M.16〜39)の坑口---本坑-東河原、2坑-釜ヶ谷、3坑-櫛笥(高尾1坑か??)、4坑-釜ヶ谷坑(高尾2坑か??)---未確認です

東河原・釜ヶ谷--現在の高尾団地の西側麓付近、釜ヶ谷・櫛笥--頃末小学校の北側付近 )


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( 高尾鉱・高松本鉱の写真は、 歴史-1に掲載中 )

(水巻町総合学習副読本2002より)---吉田炭坑の位置は、もっと南東側では?? 

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明治・大正期の関連資料を、こちらに移動 ・ 「 明治39年-遠賀郡の炭鉱」を追加


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更新日 '08/04/20 
 




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